羊の首が飛ぶカーリー寺院へ
インドに来て、以外と綺麗なベッドで(お風呂場兼トイレはアリさん達と楽しく共用だったが)眠ると、昨日の鬱々とした気持ちは無くなっていた。
ゲストハウスの屋上でコルカタに昇る朝日を浴びて、一気に探検に出掛ける意欲が高まる。
この宿では、朝食が付くので食パンとバナナ、クラッカーをいただく。写真は一緒に出てくるチャイだ。日本でもカフェのメニューにあったりする、インド版ミルクティー。
これが凄く美味しい!!
インドでは街を歩けば至る所でチャイが売られている。
屋台でチャイを注文すると、こんな感じの素焼きの陶器で提供してくれます。可愛くないっすか?シャレオツ。
しかもこの陶器は、一回きりの使い捨て。飲み終えたら、そこらへんに捨てな!とジェスチャーで伝えられる。インド人たちもポイポイ捨てていく。なんか日本人の感覚からするともったいないけど…郷に行ってはなんとやらですね。
チャイは一杯20ルピー(34円)でした。美味しいのでまた飲もうと誓う。
チャイ屋のおっちゃんにカメラを向けたら、めっちゃ照れてた。
インド人は一見すると彫りの深い怖い顔だが、笑うとめっちゃ可愛くて一気にイメージが変わる。そのギャップもインドの魅力なのかも。
今ならわかる。ギャップでコロッとおちちゃう女子の気持ちが。
チャイとミルクティーの違いはご存知ですか?
インドはかつて、イギリスの植民地だったことはあまりにも有名であると思います。
紅茶大好きイギリス人たちのために、インドで作られた良質な茶葉はほとんどイギリスに持っていかれてしまったそうです。
そのため、インドでは"ダスト"とよばれる粉末状の茶葉、すなわち型落ち品の茶葉を使ったそうです。しかし、いかんせん型落ち品なので苦味が強く、それを薄めるためにミルクや砂糖を加えて飲みやすくしたものがチャイだそうです。
占領の歴史がそれぞれの街や国の文化を形作っていく例は沢山あるので、勉強しながらそれらを体感していくのは旅の醍醐味ですね☺️
◆血生臭いカーリー寺院へ
正直、コルカタはザ・観光名所!みたいなスポットは多くなく、街歩きでローカルな雰囲気を味わうのが乙なところだと思います。
しかし、絶対に行きたかったところが1つ。それが、カーリー・テンプル(寺院)です。
インドのヒンズー教は多神教なので、地域によってどの神様が推しかが分かれるようなのですが、僕が泊まっているゲストハウスのあるカリガットという地域ではカーリーを推しているそう。(カリガットのカリって、もしかしたらカーリーからきてるかもしれないですね。知らんけど。)
この青い肌のヤバそうなヤツがカーリー様です。
この絵はあまりにも有名な神話のワンシーンなので、社会科の教師として体裁を保つためにもどんな物語か紹介しますね。
カーリーは血と殺戮を好む戦いの女神として生まれます。
①カーリーの誕生
ドゥルガーという女神が魔族と戦っている最中、あまりの怒りにドゥルガーの額は黒く染まり、その額からカーリーが誕生した。
はい、この程度でわけわからなくなってたら着いてこれませんよ〜。
おでこから生まれたもんは生まれたんです。
②女神、覚醒。
カーリーは生まれたばかりにも関わらず、その戦いの才能をいかんなく発揮して、魔族軍を撃退しました。
③女神、踊る。
勝利に酔ったカーリーは、喜びのあまり思わず踊り出しました。しかし、それは神のダンス。激しさは我々の想像を超えており、大地は砕け、地球が崩壊しそうになってしまった。
④優男シヴァ登場。これが理想の夫か。
そこへ駆けつけたのが、カーリーの夫である(生まれたばかりなのに、もう夫がいるなんて不思議ですね)シヴァという神。
彼は大地が粉々になるのを防ぐために、自分の体をクッションにして、彼女の猛烈なダンスを身一つで受け止めてみせたのです。
やっと踊り疲れて、自分の夫を踏みつけていたことに気づいたカーリーは、
やっちゃった☆てへぺろ☆
と舌を出している。
という一連のストーリーを表している絵なんですね。ヒンズー教の神話はぶっ飛びまくっていて面白いので、皆さん図書館で借りてみましょう💫
さて、話は戻ってそんな戦いの女神を崇めるカーリー寺院に行ってきたわけです。
ここでは、血を好むカーリーのために毎日羊を生贄に捧げているらしいのです。
生贄って…2019年やで…
これがカーリー寺院の外観。
中は撮影禁止だったので、どんな様子であったかをお話ししますね。
寺院の中はインド人で大混雑であった。
インド人たちは、ヤギの生贄ではなく本堂でのお祈りが目的らしく、長蛇の列がいつまでも続いていた。
インド人から、ここに早く入りたいんならお金くれたら、入れてあげるよ!!とかなんとか言われたけど、俺の目的は別にあるのでムシムシ。
寺院内を歩いていると、明らかにそこだけ雰囲気の違う艶かしい黒い建物があった。絶対ここだ。
しばらくまっていると、ヤギの飼い主らしき人たちが1匹のヤギを引っ張ってきた。
すると、雰囲気のある恐らく僧であろうインド人がやってきてヤギの首に赤い花輪をかけ、その体に手を添えて呪文を唱える。お清め的な感じだろうか。
ギョッとしたのが、僧のような人物の親指が2本あるのだ。つまり、片手に6本の指がある。
あとから聞いた話によると、インドではそういった"人と違う特別な人"は神聖な人とされ、尊敬の対象となるそうだ。日本とは全然違いますよね。
呪文を唱え終わると、先ほどの黒い建物に入っていくので、後をついていく。どうやら、建物内は土足禁止らしいので、靴を脱いでその辺に置いておく。まあ、靴なんて盗んでくもの好きはいないだろうし、なくなったら買えばいいや。
黒い建物内の床は濡れており、生暖かい水と、何かわからない屑みたいな感触が足の裏に伝わる。きもい。
しばらくすると、小学生くらいの男の子が太鼓をたたき出す。
それに合わせて、3人がかりでヤギの足と首をおさえ、ギロチン台のような物にセットして抑える。
ドラムロールがどんどん早くなり、そのテンポがピークになったところで…
ザンッ……
1人のインド人が振り下ろした刃物によって、"瞬く間に"ヤギの首は胴体を離れ、床に転がり落ちた。
床には飛び散ったヤギの血がじわりと広がる。
命って、こんなにあっけなく終わるんだ。
ふと、そんなことを思った。
転がり落ちたヤギの首は、胴体と離れてしまったことをまだ理解していないのか、パクパクと口を動かしている。首からしたも同様なようで、足がバタバタと動き続けている。
驚くべきことに、切り離されたはずの2つは1分、2分だっただろうか…とても長い時間動き続けていた。
ヤギの動きが止まると、インド人たちはさっさと首と胴体をタライのような銀の容器にぶち込み、解体場へと運んでいく。
解体場では、ぶっとい包丁をもったインド人が手際よくヤギの皮を剥ぎ、腹を裂くと鉛色の内臓がどぼどぼっと一気に地面に落ちる。
内臓は別のインド人によって入れ物に取り分けられ、羊の胴体はあっという間に細かく捌かれていく。
周りのインド人たちは、当たり前のようにその光景を見ていて、羊の解体が終わるや否やその肉を我先に買い取っていった。
羊の肉はその場で食用として売られていくのだ。
転がっている肉片を、犬がくわえて遠くへ走り去って行く。
血肉はあっという間に水で洗い流され、何もなかったかのような光景に戻って行く…
ついさっきまであった命が、一瞬で終わり、一瞬でバラバラになるさまを間近で目撃した僕は、本当になんともいえない感情になった。
羊の解体なら、モンゴルで遊牧民が行っているのを見たことがあった。
しかし、彼らは生きるために自分の家畜を殺し、食べていた。
カーリー寺院で見たそれは、明らかにモンゴルのものとは大きく異なっていた。
"命の大切さを知った"とかそういう類ではない、ほんとうになんとも表現できない気持ちがどろりと胸の中に溜まった。
日本では絶対に見ることのできない光景を目にして、きっと脳がどういう感情で処理するのが最適かを測り兼ねているんだろう…。
気持ちよく目覚めた一日は、そんな複雑な感情で始まっていった。