【番外編】現代インドのカースト制度について

今回は、番外編として現在のインドで体感したり、聞いてきたカーストについての現状を書いていきたいと思います。

僕もまだまだ勉強中なので、全てが正しいわけではないと思いますが、読んでくださる方がインドのカーストや社会について興味を持つきっかけになればと思って書いてます。

ですので、是非これを機にご自分でも関心を持って調べてもらえると幸いです。

 

カースト制とはなにか

 

学校の授業などで取り扱うことも多い題材のため、ご存知の方もいるかもしれません。

 

長くなってしまいそうなので、カースト制についてわかりやすく解説してある記事を載せますので、参考にしてみてください。

インドのカースト制をわかりやすく簡単に解説します。 | おっさんフォース

 

簡潔に上の記事をまとめながら説明します。

 

カースト制には4つの身分(バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラ)があり、カーストにも入れてもらえない身分(ダリット(不可触民))がその下に存在する。

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・ダリットは、かつての日本でいつところの"えた・ひにん"のような扱い。人が嫌がる仕事に従事し、差別を受ける。

カースト制は"輪廻転生"(生まれ変わり)の考え方をベースにしている。(前世での行いが悪いと低カーストに生まれ、逆は良いカーストに生まれる。だから人生清く正しく生きようね。)

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・4(バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラ)+1(ダリット)の身分は"ヴァルナ"とよばれ、あくまで身分を表す。(貧しいバラモンもいるし、豊かなシュードラもいる)

・それぞれのヴァルナ(身分)の中には、"ジャーティ"という職業ごとの分類がある。(↓たいへんわかりやすい図)

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・ジャーティは基本的に世襲制である。(親が皮職人なら子も皮職人)自分の身分よりも高い仕事に就くことはできない。ただし、自分の身分よりも下の仕事には就くことができる。このため、下位カーストカースト外であるダリットの人々は貧困の連鎖から抜け出すことが困難となっている。

・ダリットは身分による差別を受けてきた歴史があり、現在カーストによる差別は禁止されている。

 

【 他カースト制参考サイト 】

5分で分かるカースト制度!インドの歴史と現在の実情は? | Compathy Magazine(コンパシーマガジン)

カースト制によってインドの職業が細分化されたのか

 

ざっくりとまとめてみましたが、カースト制についてなんとなく理解はできたでしょうか?

それでは、ここから僕が実際にインドに行ってみて思ったことを中心にお話をしていきますね。

 

◆現在のインド社会はどのようになっているのか

 

現在のインドでは、憲法によってカースト制度は否定されています。

しかし、インド人たちに今でもカーストは残っているかと聞くと、100%の確率で

 

カーストはまだ残っている。

 

という答えが返ってきました。

インド社会には、未だカーストが根強く存在しているのは確かなようです。

 

現代でもカーストが残っているのは、旅をしている中でも感じることができます。

 

例えば、インド人はちょっと話してすぐに別れるような関係でも、すぐに名前はなんていうんだ?!と尋ねてきます。

名前を聞くくらい普通だと思うかもしれませんが、インドでは名前でどのカースト(生まれ)かが大体分かるそうなんですね。ですから、相手のカーストをまず最初に推し量ろうとしている。そのクセが抜けずに、日本人にもすぐ名前を聞いてくるんだそう。

 

また、チャイ屋で使われる使い捨ての陶器のカップ

なぜこれが毎回使い捨てにされるかというと、使い回しのカップだと、どのカーストの人が使ったかわからないからなんですね。

オブラートに包まずいうと、自分より下のカーストの人が使ったカップを使いたくない。ってことです。そのため、飲み終わったカップは捨ててしまいます。

もし下のカーストの人が使用したものを使うと、けがれがうつってしまうという考えがあるわけです。(そうした理由でこうした文化が始まった。というだけで、現在のインド人がこう考えているということではないです)

インド人が箸やフォークなどの道具を使わずに自らの手で食べるのも、こうしたカーストが関係してるともいわれています。

 

◆インドは超競争社会でコネ社会

 

インドの人口が猛烈に多いことは周知の事実だと思います。

あまりに人口が多すぎるためインドでは今、人々の職が無いことが問題になっています。

知り合ったインド人は、デリーのドーナツ屋で時給80ルピー(136円)で働いてると言っていました。

 

この記事のはじめにジャーティの話をして、身分によって職業選択の自由がなかったことをお話しました。

現地のインド人や在住の日本人の方に話を聞くと、現在でもその影響はまだ残っているといいます。

 

しかし、特に若いインド人は、

これからはカーストとか関係なく仕事を選べるようになっていくと思うよ。インドはどんどん変わって行ってるんだ。

という前向きな意見を話す人が多かった。

 

そんな変わりゆく現代インド社会で、若者たちは数少ない優良な就職先の椅子を手に入れるために激しい競争の中で生きています。

インドの高校では、3年生の最後にインド全国の統一試験があり、そのスコアが一生を左右します。(履歴書に統一試験のスコアを書く欄があったりするらしい)インドの人口を考えると、この試験でいい順位を出すのはめちゃめちゃ大変である。てか、大変とかいうレベルじゃないよね💧

娯楽も少ないインドの学生たちは、死ぬ気で勉強に励んでいるそうだ。

しかし、死ぬ気で勉強をして良い大学に入ったとしても、良い就職先が見つかる保証はない。

インドに5年ほど住んでいるというゲストハウスの日本人スタッフの方は、

 

結局インドはコネ社会だから、上級カーストの人々が良い職に就きやすい仕組みになってしまっているんだ。せっかく勉強して良い大学を卒業しても、就職先が見つからないことなんてザラにある。だから、特に下位カーストやダリットの人々の一発逆転はまだまだ難しい現状なんだよ。

 

とおっしゃっていた。

インド社会を生き抜いて行くのは、本当に大変である。

 

もちろん、すべての企業がそのような仕組みなわけでもなく、インドに進出している日本企業や海外企業なんかは例外であるのだろうが…

 

中には、低級カースト出身だが努力に努力を重ねて政治家になったり、優良企業に入ったりする人もいるらしい。

しかしその数は多くない。

 

そもそも、上級カーストのお金のある家では、お金をかけて私立の学校で良い教育を受けることができるが、低級カーストではお金がないばかりか、親は道で物乞いをしていたり、小学校や中学校をやめてしまい親の店や仕事を手伝っている子どもも多い。

良い教育を受けることができるかどうかが、カーストや生まれの影響で異なってくるのだ。

 

特に田舎の村では、親も勉強の大切さを理解しておらず、子どもも勉強をすることによってどのような利益があるのかをイメージできず、理解していない子らが多いそうだ。

 

勉強する意味がわからない。

どのようにして裕福になるのかがわからない。

 

だから、つまんない勉強は早々にやめちゃって、その日暮らしでも働きながらお金を稼いでる子どもたちがたくさんいる。

 

実際、旅の途中で小学生くらいの小さな子どもが昼間から屋台で料理を作っていたり、靴磨きをしてる姿を多く見かけた。

 

彼らのいう勉強する意味がわからないは、日本人の学生が言うそれとは根本的に意味合いが異なる。

日本人は、なんだかんだいっても、

勉強して、良い大学に行けば、より良い就職先に就ける可能性や選択の幅が広がって、人生が豊かになる。

ということは理解しているのだ。そういう実例を聞かされたり、目にしているから。

 

しかし、勉強を放棄してしまうインド人は、それがわかっていない。理解できていないのである。

 

親も勉強をしていなくて、掃除夫をしている。友達も学校に行かずに働いてお金を稼いでいる。

周りに勉強して、成功していくといった成功例がいない。

だから、ずっとサイクルから抜け出せない。

そんなことを現地に住んでいる方から聞いた。

 

彼らのように、そもそも勉強をする理由がわからなくて辞めてしまう者。

必死に勉強をしたけど、競争に敗れてしまう者。

必死に勉強して、勝利を勝ち取り裕福なくらしを手に入れる者。

 

同じ国なはずなのに、ここまで大きな違いが生じるのか…と、なんとも言えない気持ちになる。

 

一応、制度の上では大学に入学させる生徒の半数を低級カースト出身者にするなどの取り組みがなされているそうだ。

しかし、そうやって入学した低級カーストの学生への風当たりは激しいだろうし、いじめや差別なんかも存在するだろう。

そう考えると、努力して成功を手に入れた人たちは本当に強い意志を持っていたんだろう…

 

【 優遇措置などの現状についての記事

優遇求めデモ、相次ぐ暴行事件……インドで根強い「カースト制」の今(THE PAGE) - Yahoo!ニュース

 

カーストと自由恋愛

 

インド人と話をしていると、意外と近代的な考えを持っているインド人が多いことに驚く。カーストの考え方について否定的な意見を多く耳にした。

しかし、カーストについて否定的なインド人でも、道にゴミをポイポイ捨てたりする。インド人はほとんどの人がためらいなくゴミをポイ捨てする。寝台列車の最終駅では、列車の床にゴミが散乱していたりした。

というのもインドでは、道のゴミを掃除する仕事の人たちがいる。彼らは間違いなく低級カーストだろう。

ゴミは彼らが集めてくれる。それが彼らの仕事だ。

そんな考えが脳にこびりついてしまっているのだろう。

こうした慣習は是正していかないといけないと思う。

 

ただ、もし仮にインド人が全員ゴミを道に捨てなくなった時、ゴミ掃除を仕事としている人たちの職はどうなるのだろうか…

 

もし仮にカースト制を完全撤廃して、誰でも自由にどんな職業に就いてもいいことにしたとして、今トイレ掃除やゲストハウスの掃除をしているような人たちは、本当にその機会を活かすことができるのだろうか…

 

カーストを否定するのは簡単だが、膨大なインド人をまとめ、今の社会を維持しているのもまたカーストなのではないかと思う。

この国は、本当に絶妙なバランスで成り立っている。カーストを完全になくせば良いとか、そんなに単純な話ではないのではないかと思った。

 

インドでは、かつて同じカースト同士での結婚しか許されなかった。

その名残なのかもしれないが、未だに親によるお見合い結婚で相手を決められる家庭がほとんどだ。日本の価値観からすると、とても考えられない。

若いインド人に話を聞くと、そうしたお見合い結婚には反対している者がほとんどであった。

最近、ようやく自由恋愛、そして自由結婚を行う人たちも出てきたらしいが、それでもまだまだ一握りなんだそう。

 

インドには日本では考えられない文化や考え方が山ほどある。

恐らくだが、その多くは古くから続くカーストの考え方に影響を受けて成立したものではないかと思う。

 

カーストが原因で起こる悲しい事件やひどい差別などを聞くと、カースト制の持つ悪い側面を否が応でも見せつけられる。

こんな考え方は酷すぎると感じてしまう。

 

【 実際に起きている事件の一部 】

殺されたのは、身分の高い人の前で食事をしたから……インドに根強く残るカースト制度 - BBCニュース

インドの「不可触民」 今も続く差別の形 - BBCニュース

 

しかし、こんなにもインド社会と密接に結びついているこの価値観を一変させるには、本当に革命的な出来事が必要だろう。

そして、もし仮にカースト完全撤廃を実現できたとして、もうその国は今の私たちの思うインドではなくなってしまうのではないかと思う。

 

そう考えると、僕はカーストという考え方に対して否定もできないし、肯定もできないなと思った。

 

◆まとめ

 

色々と事例を挙げながら話を進めてきたつもりですが、どうだったでしょうか。

まず、理解しておいてほしいのがインドという国はあまりにも広大で、複雑です。

都市部での現状と、郊外での現状はまったく異なります。同じように、地域や家庭環境、宗教などによってインド人の考え方も多種多様です。

だから、この記事を読んだり、人の話を聞いたりしたときに、

インドは今こういう状況なのか。

と、単純に解釈しないでください。

あくまでこれは、インドの一部においてこういう状況である。という話です。

 

今日つらつらと書いたことは、日本からはまったく考えることができないような文化や考え方です。

ですから、一部だけでもその現状を伝えることで、なにか考えるきっかけになったり、興味関心をもってもらえればと思い長々と書いてみました。

 

皆さんは、現在のインド社会、その中に根強く残るカーストの考え方。その中で生きるインド人たちについて、何を思いますか?

ほんのちょっぴりでも、考える時間を作ってくださると嬉しいです。

 

では、次は新しい国イランの旅編でお会いしましょう🇮🇷