聖なる地 バラナシの持つ魅力

こんにちは!

今日もインドからお届けします🇮🇳

この前の記事では、寝台列車バラナシまでたどり着いた所で終わりましたので、バラナシ探索編をお送りします。

 

バラナシが素敵すぎて、すっかり更新が遅くなってしまいました😂そんくらい良いところってことですね。

 

◆バラナシってどんな街?

バラナシ(Varanasi)は、ヒンドゥー教最大の聖地とされている街だ。

その理由として、ヒマラヤから流れてくるヒンドゥー教徒にとって聖なる川であるガンジス川の存在が大きい。

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場所は上の地図参照。インド北部ですね。

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ゆったりと流れるガンジス川に沿って、いくつものガートと呼ばれる階段状の沐浴場が並んでいる。

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このガートで、人々は体を清めたり、洗濯をしたり、遺灰を流したりしている。

よくバラナシは生と死が入り混じる街だといわれているが、まさにその通りだと感じた。

そのことについては、また後述しよう。

 

バラナシは、the インドを感じることができる地としても名高い。

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野良犬や牛はそこら中におり、もちろん牛のうんちもおかまいなしに落ちている。

ちょっとでも油断して足下の警戒を怠ると、トラップカード発動!!となる。生憎、旅人はサイクロンもサイコショッカーも持ち合わせていない。
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一度路地裏に入ると、細く入り組んだ迷路のような街が歓迎してくれる。人2人分ギリギリ通れるスペースでも、バイクがクラクションをけたたましく鳴らしながらゴリゴリ突っ込んできたりする。

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マーケットもそこら中で開かれる。

路地裏をあてもなく探検するのが非常に楽しい。
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牛は歩行者かつ車両。

ヒンズー教において、シヴァの乗っている動物として神聖な扱いを受けている牛。

しかし、ウンチやおしっこを道に垂れ流し、ゴミ箱を漁る姿は神聖さとは程遠いものを感じさせる。

 

かつては今より沢山の牛が放つウンチ等によって、たいへん汚い場所として有名であった。しかし、最近は政府の方針で多くの牛は街から追い出され、街はかつてよりも綺麗になっているとのことだ。(まあそれでも汚いとこは汚いんだが)

バラナシの混沌としたイメージを楽しみに訪れた観光客は、ちょっとがっかりなのかもしれない。

 

◆強烈に絡んでくる客引きインド人

今の時期は乾期にあたるため、ガート沿いを歩いて散歩することができる。

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毎日のようにガンジス川を眺めながら散歩に勤しんでいるのだが、道中で客引きに声をかけられなかったことがない。

 

ボート乗るかい?!

お土産屋さんやってるけどこない?!

チャイでも飲まないか!!

ボートはどうだ!!

ボート!ボート!!

ボーーート!!!!

 

フルートいるかい?!

 

(フルート…?笑)

 

フルート売りはちょっと面白くて話を聞きそうになったが、一人一人丁寧に対応していたら日が暮れてしまうので、基本無視かごめんね〜といって歩を進める。

しかし、驚いたことにいつも韓国or中国人に間違えられるのに、バラナシに来てから結構な確率でまず日本語で話しかけられる。(バラナシの客引きインド人は日本語ペラペラな人が多い)なんでこんな時だけ日本人バレするんや😂って感じだが、彼らの観察力は素晴らしいモノがある…

彼らの観察力に敬意を評して、ファーストコンタクトで日本人と見抜いてきたインド人とはある程度話をするようにしている。見抜けなかった修行不足のインド人はガン無視。10年早いわ!!

 

日本語を話せるインド人と話すのは普通に楽しい。

バラナシ、スバラシ〜だよ!!

とかってシャレも言える。笑(十中八九、その後お店を見にいかないかと誘われるわけだが😅)

 

ある日、いつものように朝のガートを歩いていたら、インド人がこんにちは〜と手を差し出してきた。日本人と見抜かれてしまってはしょうがない、挨拶を返してその手を握ると、おもむろにマッサージを始めた。

いやいや、ごめんお金ないよー、払わんよー。

というと、

 

安心して、お金いらないよ!これただの挨拶だよ!お金いらない!!

 

と言ってマッサージを続ける。

振り払って行ってしまっても良かったのだが、握手からマッサージまでの流れがあまりにも巧みすぎて面白くなり、この後どういう流れでお金を要求されるのかを見たくなってしまう。

次は左手をやってやる!というので、左手を差し出す。

彼はマッサージを続けながら、頭、肩、首マッサージ全部で100ルピーね!安いよ!!とセールストークを始める。まあ100ルピーくらいならいいかなーとかって思ってると、

立ってて疲れるでしょ!こっちすわりな!!

と、心の内を見透かしたようにスムーズに座らされ、あっという間に他のインド人によって横にマッサージマットが広げられる。もう完全にマッサージをやる前提で話が進んでいる。流石だ。笑

横になり、マッサージを受けていると

このマッサージはスペシャルだから!あと1ヶ月は体バッチリだよ!!あなたラッキーね!!

とかなんとか言ってる。おもろい。笑 ほんとかよ。笑

 

マッサージは進んでいき、インド人は頼んでない朝や腰とかもマッサージしだす。あ、ここでぼったくってくる感じやな〜と思ったので

100ルピーって言ったから100しか払わんよ?!

と釘を打つ。

それは頭、肩、首マッサージね!!これ、全身スペシャルマッサージよ!!ヨーロピアンたちは50ドルくらい払ってくね!!

やはりスペシャルマッサージにかわっとる。笑

50ドルは嘘として、交渉しながらマッサージを続けると、

100ルピー+気持ちよかったかで金額を決めるということで合意。やれやれ。

 

しかし困ったことに、インド人のマッサージなんて、B級のしょうもないやつやろなーとかって思っていたのだが、意外とちゃんと気持ちいい。笑 やるじゃねーか。笑

 

意外とテクニシャンなインド人マッサージを受けていると、さらっとマッサージしてるインド人が2人になってる!!

なるほどこうやって2人分のお金をせびってくるパターンね。笑

ほんとにインド人のこういう強引さとかテクニックは勉強になるわ。使うところないけど。

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普通に気持ちよかったし、面白い経験ができたので1人200ルピーも渡した。それでもなお、more!!more!!と交渉されたが、いやいやブラザー笑 それより写真撮ろうぜ笑とテキトーにかわした。

インド人達を無視し続けるのは簡単だけど、まあ多少ぼったくられる覚悟で乗っかってみるのも、バラナシの醍醐味なのかも😂

 

◆見に行ける火葬場

バラナシでは2つの火葬場があり、一日に何体もの遺体が運び込まれる。

その様子は、包み隠されることなくインド人も外国人も見ることができる。

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敬虔なヒンズー教徒は、この聖なる地であるバラナシで最期の時を過ごし、死にゆくためにこの土地を訪れているそうだ。

(もっとも、最近ではそういった人達も減少しているそうだが…)

遺灰をガンジス川に流してもらうことで、輪廻から解脱できると考えられているそう。

 

輪廻転生とは、人が何度も生死を繰り返し、新しい生命に生まれ変わることを意味します。
輪廻は、車輪が回る様子、転生は生まれ変わることを意味しています。
また、「輪廻」、「転生」のみでも輪廻転生と同じ意味の言葉として使われます。

人の生まれ変わりには、生前の悪行が関連しており、それに応じて六道という6つある世界のいずれかに生まれ落ちます。

輪廻転生では、必ずしも人に生まれ変われるというわけではありません。生まれ変わる世界は、6つの世界に分けられています。

https://www.houyugroup.co.jp/topic/topic_haka/rinne

輪廻転生の考え方については、上のサイトとか読んでみてくださいな。

 

まあ、簡単に言うとヒトの魂は死んだ後もまた別の生命として生まれ変わると。

生まれ変わる際に、生きていた時の行いによって非常に苦しい世界に生まれおちることもある。

だから、生きてる間に善行を積んで悪行をしないようにせんとあかんと。

けど、永久にそんなことを気にして生き続けるのはしんどい。

だから、この終わることのない輪廻転生のサイクルから抜け出す(解脱する)ことを目指そう!

ヒンズー教においては、ガンジス川に遺灰を流してもらえれば解脱できるってことですね。

という流れがヒンズー教や仏教なんかにある、という解釈でだいたい大丈夫やと思います(微妙に違ってたらすいません)。

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それくらいの神聖さを感じる川だなって自分自身体感したなぁ。

 

目の前で焼かれる遺体を眺めながら、ヒトの一生が終わっていく様を見ていると、やっぱり色々と思うところがあった。

 

なにより、日本と違って死に蓋をしない隠さない姿勢がここでしか感じられないものだと思った。

バラナシでは、死は日本よりずっと身近なものであって、触れたり目にする機会が多い分、"死ぬ"ことに対するちゃんと考える人が多いんだと思う。

 

日本では綺麗に綺麗に、毎日生きていくことができるけど、死に直接触れる機会が少ないぶん、死を恐れたり、いかに死ぬかってことについて考える機会が失われているように思った。

 

"いかに生きるか"ってこととともに、"いかに死ぬか"ということについての自分の中の考えはまだ全然まとまっていないけど、バラナシにそのきっかけを与えてもらったから、これからの旅の中でちょっとずつ確立させていけたらいいな。